はじめまして。東京アンバサダー歯科 赤坂ヒルズ 院長の小島明雄です。
私は18歳で単身アメリカに渡りネブラスカ州のクレイトン大学歯学部を卒業。日本と米国の歯科医師免許を持っております。
ハワイでの開業を経て帰国。2000年から2011年までの間、外国籍の患者さまを中心に広尾(港区南麻布)で有栖川パークサイド歯科を開業しておりました。
日本で開業する前は、ハワイ州の歯科医師免許を日本人として初めて取得し、ハワイ島コナで開業しておりました。
地元の人に囲まれ、やりがいのある仕事に励む毎日。大変恵まれた生活でしたので、このままハワイに永住するつもりでした。ところが日本にいる母が病気になり、日本への帰国を余儀なくされたのです。
日本に戻ってすぐは、日米の医療制度の違いに戸惑い、歯科に対する人々の意識の違いに驚くことの連続。そして「自分がハワイで行ってきた治療は、日本の環境ではできない…」そんな風に感じて気持ちも沈みがちでした。
しかしながら、2000年に前述の有栖川パークサイド歯科を開業してから、徐々に自分のミッションが見えてくるようになりました。
私がアメリカにいた当時、異国の地で病気になるととても不安だった事から、言葉の壁がある方達の気持ちを理解して治療をしてあげたい、と。
◆日本にいる外国人の方には
「母国語でストレスなく治療を受けられ、母国と同じ水準の医療をお届けする環境を」
◆日本人の方には
「最先端の歯科医療を施し、誰よりも美しい歯で自信を持って頂けるように」
これがアメリカで教育を受けて歯科医師となり、日本で仕事をさせて頂いている自分の使命だと思います。
実はアメリカの大学2年(20歳)の時に突然父が亡くなり、学費の支払いも出来なくなった時期があります。学業をあきらめ母の待つ日本に戻るか悩みましたが、偶然歯科医だったホストファミリーのDr. Gosneyの助言でアメリカに残ることにしました。
当時SONYがアメリカで躍進しており、Dr. Gosneyが「SONYの国・日本から来た明雄は、手先が器用だろう。歯科医師になったらどうだ」と勧めてくれたのです。私は理学部数学科を卒業後、歯学部への進学を決意したのでした。
日本と違いアメリカの大学は教養課程の4年を終えてから、プロフェッショナルスクールと呼ばれる医学部、歯学部等の専門学部(4年)に入学します。当時から国籍の違う学生には狭き門だった歯学部ですが、猛勉強の末なんとか入学できました。学費のローンを組み、寮費を浮かせるために下級生の面倒を見る寮長の仕事をしながら過ごした歯学部の4年間は大変ではありましたが、充実した日々でした。
今、ここに自分がいる事、患者さまが自分の医院に来て下さること、すべてに感謝しながら、日米の免許を持つ歯科医師として自分に出来ることを常に実践して行きたいと思っています。
広尾より赤坂に移転してから10年以上が経ちます。
当初は「赤坂ヒルズデンタルオフィス」と言う名称で開業しておりましたが、近隣に類似する歯科医院名が多くて紛らわしいとのご指摘もあり、2014年7月より名称を
「東京アンバサダー歯科 赤坂ヒルズ」と変更する事になりました。
アンバサダーという言葉には「親善大使」と言う意味もあるそうです。今後も歯科医として世界中の皆様をつなぐ架け橋、大使のような役割を務めさせて頂ければと思っております。
・・・などと、堅苦しい考えをご披露してしまいましたが、まずは一度ご来院ください。
自信を持って笑える、その方の顔貌にあったベストなスマイルラインをご提案します!
私に貴方の口元をお任せください!! お目にかかるのを楽しみにしています。
院長 小島明雄